女子大生が考えること

現在大学1年生です!日本語や日本文化、そして世界の言語・文化に興味があります。そんな私が日々、ふと考えることを記録していきたいと思います。もしよろしければ、お付き合いください😊

大学生になって

こんにちは☀️

 

今年の3月に高校を卒業し、4月に大学生となってから、はや4ヶ月。再来週から夏休みに入ります😁

この4ヶ月間、私は15科目の授業を取っていましたが、中でも特に印象に残った3つの授業について振り返りたいと思います。

 

1つ目は日本文化論です🇯🇵

日本文化、と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?真っ先に思いつくのは、華道や茶道、折り紙、柔道などでしょうか。

ですがこの授業で扱うのは、そのような代表的なものではありませんでした。

例えば、日本人が大好きな桜。なぜ日本人は桜が好きなのか、どのような経緯で桜が好まれるようになったのか、などのお話でした。

 

以前まで桜は日本固有の花だとばかり思っていましたが、中国や韓国など日本以外の国が原産の桜も多く存在するようで驚きました。

また、現在私たちが目にする桜といえばソメイヨシノが多いと思うのですが、これは品種改良された桜だということにも驚きました。

昔の日本人が見ていた桜は、葉桜だったようです。現代では葉桜を見て美しい、と感じる人は少ないのではないでしょうか。満開に花咲く桜を好む人が多いと思います。葉桜を見て美しいと感じていた昔の日本人の感性は、まさに奥ゆかしいものだなと思いました。

 

他にも面白いお話が沢山ありました。昔は同一人物が複数の名前を持っていたことや、改名が当たり前だったこと、地名の由来、十干十二支にまつわるお話、休日について、初詣の起源と普及した理由などなど。私たちの何気ない日常を、広い意味で”日本文化”と捉え、様々な角度から色んなことを学べました。毎回 “そうだったんや!”という驚きと感動に満ちた、最高の授業でした。

 

2つ目はイスラーム概論です。

イスラームと聞くと、"テロ”と結びつけてしまう人が多いのではないでしょうか。なんとなく怖そうなイメージ。私もそのうちの1人でした。ですがこの授業を通して、イスラームを見る目がガラリと変わりました。

まず、イスラーム=アラブではない、という話から始まり、イスラームを信仰する人々が何を考え、何を思い日々生活しているのかということや、ムスリムにとってアッラー(唯一神)がどれほど大きな存在かということ、イスラームには宗派が沢山あること、多数の宗派に分裂してしまった理由、イスラーム社会の仕組み、戒律や祭典に込められた意味など、”イスラームとは何なのか”について広く学ぶことができました。

近年、テロ集団と化してしまった人々は、この多数ある宗派のうち、一部が過激化したということですね。

イスラームの歴史、そして国際情勢の歴史を踏まえると、ISが誕生してしまった理由が、なんとなく分かりました。

 

様々なことを学びましたが、中でも驚いたのは、まずユダヤ教キリスト教イスラームでは信仰している神は同じだということです。使徒(神の啓示を人間に伝える役割の人)が100人以上いるらしいのですが、その中で誰までを使徒として認めるか、という点でこの3つの宗教は異なるようです。例えば、イスラームムハンマドを最後の使徒として認めていますが、キリスト教ムハンマド使徒とは認めていないそうです。

また、イスラームといえば断食をする、というイメージを私は持っていました。なぜそんな過酷なことをするのだろう、ととても疑問でしたが、この授業で明らかになりました。

それは、飢えや貧困に苦しむ同胞(=イスラームの信者)のことを思い、同じ苦しみを味わうためだそうです。助けることはできないかもしれないが、せめて同じ苦しみを分かち合おう、という思いやりの精神による行為ということです。

このことからも分かるように、イスラームは仲間をとても大切にする文化だということがわかりました。

そしてもう一つ、”イスラーム=なんか怖そう"というイメージを私が抱くきっかけとなっていたことがあります。それは、”目には目を、歯には歯を”でお馴染みの復讐法です。中学、高校の教科書では、イスラム教は復讐を法律で認めている、という説明と共に、この言葉が記載されていました。”復讐を認めるなんて怖っ!”と思ったことを覚えています。

ですが大学の授業で、この法律には続きがあることを知りました。”目には目を…受けた傷には同等の仕返しを。だが、(被害者が)この(報復)を棄権する場合は、それは贖罪行為となる”と。

すなわちこれは、やられたらやり返せという意味ではなく、過剰報復を禁じたものだということです。そして最も重要な点が、同害報復の権利を認めるが、その権利を放棄する(=相手を許す)ことをむしろ勧めている、ということです。

これらの話を聞いただけでも、自分がどれほどイスラームについて誤解しているか、ということを痛感し、反省しました。

 

今回の授業で学んだことは、イスラームのほんの一端に過ぎないとは思いますが、無意識のうちに作り上げてしまっていた偏見を払拭することができ、大変有意義な学びを得ることができました。

 

 

3つ目は狂言です。👘👺

この授業は本当に面白かったです!

プロの狂言師の方が授業をしてくださったのですが、狂言に対するイメージが180度変わりました。

これまで、私は能と狂言の違いもよく分かっていませんでした。映像で少しだけ見たことはありましたが、まず何を言っているか分からないし、泣いてるのか笑ってるのかも分からないし、とにかくよく分からんもの、というイメージでした。が、授業を通して狂言が好きになりました。

まず、能はお囃子の演奏が入る音楽劇ですが、狂言は演奏がなく、会話だけの劇だということ。能は悲劇で、狂言は喜劇だというを学びました。分かりやすく言えば、能はミュージカルで、狂言はコントのようなものですね。

そして、狂言における笑い方、泣き方、怒り方や、扇を使った動作の演技の仕方などを学びました。

それから、能や狂言は必要最小限の小道具しか使わないため、役者の演技力に加えて観客の想像力がとても大事だとおっしゃっていました。

まさに会場が一体となって作り上げる芸術ですね。

また、現代の私たちの生活に能や狂言が以外と大きく関係していることも知りました。例えば、普段よく使う”打ち合わせ”や”三拍子揃う"、"芝居"や"楽屋”などの言葉。その起源は能にあるようです。

驚いたことに、国歌君が代の歌詞も、能か狂言(忘れました😅)の演目の一部からそのまま引用した詩だそうです。

 

最後の授業では、ある演目をプロの方が実際に演じてくださいました。一部分ではありましたが、間近で見ることができて感動しました!

本当に感動し過ぎて、きちんとした能楽堂で本物の狂言を見てみたいと思い、今度開催される狂言のチケットを購入しました!😆

一緒に授業を受けていた友達はいつも寝ていましたし、”狂言の授業楽しかったよね!"と言っても共感してくれる人が誰もおらず悲しいです……😢なので1人で観に行きます…笑

 

この素晴らしい日本の文化を、多くの人に、特に日本人の方々に伝えたいなと思いました。

 

 

面白かった授業は他にもあったのですが、長く書き過ぎてしまったので😅、今回はこれぐらいにしたいと思います。また気が向いたら振り返りをしたいと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました!